2011年10月22日 土曜日

小説お葬式(みしま聖苑篇)

1・知らせ
 夜中の2時すぎ、突然僕の携帯が鳴った。
母からだった。
「もしもし・・正一?夜中にゴメンネ、さっきおばあちゃんが亡くなったのよ・・」
「え?おばあちゃん具合が悪かったの?」驚いて僕は尋ねた。
「違うのよ・心不全だったらしいの、部屋で倒れていて歩が見つけて救急車呼んだんだけどもう手遅れでねえ。もう突然で・・」
「・・・・・・・・・・・」
「それであんた帰って来れる?まだ何にも決まってないんだけど・・」
「うん・・朝いちばんで帰るよ。」
「大学は大丈夫?」
「うん」
「そう・・・それじゃお願いね。こっちもまだゴタゴタしてるのよ。お金はあるの?電車代・・・・」
「あるから大丈夫。」
「気をつけてね」
「うん・・・・じゃ・・」
電話を切ってから暫らくの間、僕は気が抜けたようにボーっとしていた。
・・・・・おばあちゃんが死んだ・・・・・・あのおばあちゃんが・・・・

僕の家は祖父の代から地元で食堂を経営している。
いわゆる大衆食堂だ。
おじいちゃんが始めて今では父と母が切り盛りしている。
僕が小さい頃は家が商売している関係から僕も妹もおばあちゃんに育てられたと言ってもいいかもしれない。
父と母が店を終わって家庭に戻る時間はいつも十二時を回っていた。
だから僕と妹の歩は、夕食をおじいさんとおばあさんと一緒に食べるのが常だった。
運動会や授業参観には母親が来てくれたけど、自宅での生活は母親よりおばあちゃんと一緒の方が多かった。
おばあちゃんは9年前におじいちゃんを亡くし、僕と歩の面倒を見るのが生きがいだと言っていた。
だから僕が付属の大学に入ったときは、普通に受かって当然だったのだが、赤飯を炊いてお祝いしてくれたのがちょっと照れくさかったのを覚えている。
でもあのときのおばあちゃんは、とっても嬉しそうだった。
そんなおばあちゃんをみて、本当に受かってよかったと胸をなでおろしたことを覚えている。
そのおばあちゃんが死んだなんて・・・・・・・
布団に入ったまま刑の執行を待つ囚人のようにまんじりともせず天井に空しく視線を漂わせ、僕は長いようで短い夜明けを待った。

 東京駅朝7時30分発の名古屋行きのこだまに乗る。
家まで1時間ちょっと。
新幹線は混んでいたけれど始発なので捜せば空席はありそうだった。
でも僕は座る気になれず、入口のドアに寄りかかってホームの人たちをながめていた。
天気は曇り・・・・・・・鉛色の雲が低くたちこめていた。
漠然とした不安が僕の心にのしかかっていた。
発車のベルが鳴ると新幹線は僕の気持ちにお構いなく機械的に加速していった。
雨こそ降らないが十一月の少し肌寒い曇り空の下、僕を乗せた新幹線は次々にその景色を変えていった。
小田原を過ぎるともう地元に着いたような気になってなんか気持ちが昂ぶってくる。
熱海を過ぎるとトンネルに入る・・抜けるともう三島だ。
見慣れた風景がせまって来る。
駅に新幹線が滑り込むと僕は何か息苦しい感じがして深呼吸をした。
新幹線はゆっくりと止まり、プシューとドアがあく。冷たい風が僕に吹き付ける。
風にさからってホームに降りる。
通勤のラッシュはようやくおちついてきたらしいが、改札に向う人の足取りはまだ気ぜわしい。
北口からだと遠くなるので南口の改札に向う。
2・帰郷
三島の駅前も整備され随分きれいになった。
自宅にはタクシーの距離ではないので歩いて向う。
知ってる人には会わずに家の曲がり角まできた。あの角を曲がるともうそこに家がある。
そしておばあちゃんが居る。心臓がはやる気がしてもう一度深呼吸した。
家の前に着くが誰もいない。ガラガラー店の引き戸をあける。
店に入って様子を伺うが店にも誰も居ない。けれど2階に上がる階段の下に何人かの靴がキチンと揃えた上にかぶさるように乱雑に脱ぎ散らかしてあった。
あわてて上がっていったのが見て取れるような靴の脱ぎ方だった。
僕の家は一階が食堂で2階と3階が住居になっている。
おじいちゃんが亡くなった年に建て替えたのだ。僕は脱ぎ散らかした靴をよけながら上の様子をうかがった。何人か居るらしい。ゆっくりと階段を上る。
「ただいま。」ドアを開けると勲おじさんが目ざとく僕をみつけ「お、正一早かったな」と言った。「うん」チョッと会釈をしておじさんの言葉に答えると今度は父が振り向いていった。「正一おばあちゃんの顔みてやれ・・・・」「うん」僕はうなずいた。居間には母親は居なかった、他には隣りの肉屋の清さんとあとスーツ姿の男の人がいた。
男の人は胸にネームプレートをしていたので多分葬儀社の人だろうと思った。
隣りの部屋のふすまが少し開いていてそこに布団を敷いてあるのが見えた。おばあちゃんだ。ドキッとした。「正一お水取りしてやりな」父が言った。「お水取り?」声にならないぐらいの声で僕はつぶやいた。
ぼくはふすまをそっと開けた。
3対面
「おばあちゃん」僕は心の中で呼びかけた。
よくドラマで見るような白い布はかぶせずに横にたたんで置いてあった。
枕元に座ってもう一度おばあちゃんの顔をみた。
眠っているようだった。優しかったおばあちゃんそのままだった。
フト見ると枕元に水の入った湯呑と割り箸に脱脂綿を巻きつけたものが置いてあった。
僕はその割り箸に水を湿らせるとそっとおばあちゃんの口元にあてた。
薄く紅がひいてあった。
「おばあちゃん、飲んで、・・・・・・・帰ってきたよ。」
しばらくおばあちゃんの顔を眺めていたけど、まだ皆に挨拶もろくにしてなかったので隣りの部屋に顔を出した。
「おじさんどうもありがとうございます。清おじさんお世話になります。」
「おー正チャンおばあさんの顔見たか?」
「ハイ・・・」
「突然でビックリしただろう。」
父も黙ってうなずいていた。
「母さんと歩は?」
「病院にいってる。そのうちに戻るよ。」
僕は打合わせをしているので邪魔にならないように部屋の隅に腰を下ろした。
4・日程
「それでは日程を決めるためにはまずお寺様にご報告してご都合をお聞きしましょう。」
「そうだ、まず住職に連絡しなきゃナ」
うちの寺は代々曹洞宗の万福寺だ。
亡くなった先代の住職も今の若住職も良く知っている。
「もしもし、住職さん、食堂の金子だけど、うちの市枝ばあさんが夜中に亡くなって・・・・うん急だったんだよ。夕飯は食べたんだ。そのときは何でもなくって歩が部屋見たら倒れてたんだ。もう手遅れで・亡くなってたんだけど一応救急車で病院まで行ったけどだめだったんだよ。それで住職の都合を聞かせてもらって葬式の段取りをしなきゃって電話したんだよ。ハイ・・・・・・・・ハイそれじゃまた電話します。よろしくお願いします。はい。」
父は電話を置くと皆にむかって言った。
「明日友引だけど通夜はかまわないそうだ、どうする?」
「葬式はここでやるのか?」おじさんが聞いた。
「いや、ここは狭いからラーメン屋のミッチャンちが使ったみしま聖苑でやろうとおもう」父がいうと
「おお、あそこならいいかな。」隣りの清おじさんも言った。
「葬儀屋さんどうかね?専門家の意見としては?」
僕は葬儀の事など分からないので黙って皆の意見を聞いていた。
おじいさんの時は家で通夜をして寺で葬式をしたような覚えがあった。
葬儀屋さんは1級葬祭ディレクター水野さんと胸のネームプレートに書いてあった。
「はい、皆様がおっしゃるようにみしま聖苑がオープンしてから式場を利用してのお葬儀が急に増えてまいりました。
三島市函南町の広域行政組合が運営母体なので地域住民の方は使用料など低額で使いやすいと評判です。」
「使うとしたらどうすればいいんだい?」
「先ず予約状況を確認します。先着順です。朝八時から夜十時まで予約受付致しております。予約の申込みには日程が確定している事が必要なのでお寺の都合と聖苑の空きを合わせなければなりません。今から予約状況を確認致しますが聖苑の休館日が友引となりますので明日が友引で休館日なので最短で明後日の通夜になりますが。」
そう言うと水野さんは聖苑に電話した。
「もしもしこちら○○葬儀社の水野ですが十日十一日の予約状況を教えていただけますか?ハイ。ありがとうございました。後ほどまたご連絡致します。」
「どうだったかね?」父が聞いた。
「ハイ大ホールは予約が入ってましたが小ホールなら空いてるそうです。」
「ばあさんも急だったからあと1日ぐらい家に置いてやった方がいいかもしれないな。小ホールだとどのくらい入れるんだい?」「約80席ですが」
「うんまあ焼香して帰る人もいるだろうしここでやる事考えたら借りた方がいいだろう。」
「それでは住職に確認してよろしければ予約致します。」
父は住職に再度連絡し十日十一日の日程で葬儀をすることになった。
日程
通夜 十 日   十八時より   於・みしま聖苑小ホール
葬儀 十一日   十時三〇分より 於・みしま聖苑小ホール
火葬 同 日   十二時     於・みしま聖苑火葬ホール
水野さんは日程を書き入れると
「この日程をご親戚や関係の方にお知らせ下さい。後ほど表に張り出す日程表をお持ち致しますがまずはこちらを電話口において連絡をしてください。」
「あとは何をすればいいのかな?」
「あとお写真をおつくり致しますのでご用意しておいてください。また死亡診断書を記入の上市役所に届けますので認印もお借り致します。保険証や老人医療の受給者証は後日市役所に返却していただきます。」
「後でいいのかね?」
「はい、死亡の届と火葬の手続だけしておきますので後日葬祭給付金などが支給されますので葬儀が終わっておちついてから認め印などをもって一度役所に行って下さい。」
水野さんはこの後みしま聖苑の仕様に際しての祭壇や棺やその他の費用明細に着いて念入りに説明をしていった。
(確認事項)
・喪主は?
・礼状の枚数
・寺に行ってお布施や先僧の人数を確認すること
・組との打合わせの日時
・祭壇や棺などコースをどうするか?
・通夜葬儀の際の食事や御返しについて
・お供物の取りまとめ
・自宅で納棺して式場に移動する時間や車について
・遠方からくる親戚の宿の手配をどうするか?
・通夜のときにみしま聖苑に泊まる人数
・納骨初七日について
・後飾りについて
水野さんは大体この様な事をうち合わせた後見積り表を作成して帰っていった。
実際これだけの事を取りまとめてスムーズに運営していくのは並大抵のことではないと思った。
しばらく父は親戚や仕事関係の人達に葬儀の日程を連絡していたが、一人一人と話すたびにおばあさんの経過を話しているのでいくらも連絡が済まないうちに昼になってしまった。
おじさんも日程が決まったので仕事の調整をする為に一旦帰った。
隣りのおじさんも店があるので戻っていった。
それと入れ違いに階段を駆け上がる音がして妹の歩が顔を出した。
「おにいちゃん。」
「お、歩、母さんは?」
「今外で隣りのおばさんと話してる。」
「大変だったな。」
「うん、夜中に亡くなったから病院の処理がしてなかったからお母さんと行ってきた」
「そうか」
「でもお兄ちゃんもびっくりしたでしょ。」
「ああ、あんなに元気だったのにな。」
「うん夜は一緒にご飯を食べたんだよ、夜中私が寝ようとしたら電気がついてテレビもついてたから声かけたんだよ。でも返事もないし覗いてみたら部屋の中でうずくまったまま動かないからすぐお父さん呼んで救急車で・・でも」
そこまで言うと昨夜の事を思い出したのか涙ぐんでしまった
「うん、分かった。お前がいてよかったよ。」
「でも死んじゃったよおばあちゃん」
「朝までそのままだったらもっとかわいそうじゃん。」
「・・・・・・・・・・・」
「でも今見たけど寝てるみたいだったよ」
「うんお母さんもなんか起きてきてなんで皆集まってるの?なんて言いそうだねって言
ってたよ」
僕は母親に帰ってきた事を告げるために階下に降りていった。
「あ、正一、帰ってきた?ご飯食べた?」
「ううんまだ」
「今出前取ったから・・・・・家が食堂なのにね、おかしいね」
いつも明るい母親だけど口調はどことなくしめりがちだった。
でもやっぱり母親の顔をみて自分も少しホッとした。
母は結構おばあちゃんと気が合って近所でも本当の母娘みたいだと言われていたのでさぞかし落胆してるだろうと心配していたのだ。
出前が届いて家族一同そろって遅い昼を食べた。
皆あまり話さなかった。
きっと疲れているのだろう。僕は朝まで横になっていられたけどみんなは昨夜から寝てないのだ。
そういえば帰り際に葬儀社の水野さんが言っていたっけ
「今日明日は友引のおかげでおばあさまもご自宅でゆっくり出来る事になりました。通夜葬儀になってしまいますとお身内は全然休めませんのでせめて今のうちに少しでも身体を休めておいてください。」
それと今夜近所の方々が来て打合わせをすると言っていたっけ、それまで家族水入らずでおばあちゃんの近くでおもりしてくださいとも・・・・・・・
僕は又おばあちゃんの休んでいる部屋に入っていった。
5打合わせ
夜七時隣り組の皆が集まってきた。魚屋の幸一さん、印鑑屋の佐々木さん
飲み屋のマリさん、後輩の裕二も親父さんの代わりに来た。家の組は6軒しかないので葬式なんかの時は人手がなくて大変だと組長の清おじさんが言っていた。遅れて勤め人の内田さんが入ってきた。昔は八百屋さんをやっていたけどおじいさんの代でやめて息子さんは地元の信用金庫に勤めている。葬儀のときは会計係りだ。
葬儀社の水野さんも来たので部屋の中はギュウギュウずめだ。
まず組長の肉屋の清さんが挨拶した。
「今晩はお忙しいところ皆さんに集まってもらってどうもすみませんでした。昨夜といっても夜中にここのおばあさんが急に亡くなりました。心不全だったそうです。突然の事で家族の方たちも戸惑っているんですが、葬式の日程が決まりましたので皆さんにお手伝いをお願いします。どうぞよろしくお願いします。」
清さんが挨拶して次に父が
「皆さん済みませんがどうぞよろしくお願い致します。」
挨拶した。
「それで詳しい事は葬儀屋さんが紙に刷ってきてくれたんで見ながら説明してもらいます。それじゃ皆に予定表が渡りましたか?はい、それじゃ葬儀屋さんお願いします。」
事前に水野さんが予定表に組の人の役割などの必要な人員を打ち出してきて分かりやすいように説明できるようにしてくれていた。
「それではお手もとにお配りした日程表をもとに説明させていただきます。」
日程表
(喪主)金子正太郎(故人)亡母市枝(行年)七十八才
(命日)平成十六年十一月八日午前一時三〇分
(寺)曹洞宗万福寺
(通夜)十一月十日午後七時・・・・・・・・・・・於みしま聖苑小ホール
(葬儀)  十一日午前十時三〇分より・・・・・・於みしま聖苑小ホール
(出棺)  同日 午前十一時五〇分
(火葬)  同日 正午・・・・・・・・・・・・於みしま聖苑火葬ホール
(精進落し)同日 火葬の入炉後待合室において行います。
(備考)
自宅~十日午後四時三〇分出棺してみしま聖苑に移動
組内様は六時までに聖苑にご集合ください
(役割)受付3名お願い致します。
(御返し300セット・葬儀社でお茶を礼状とセットしておきます)
・   ジュース配りお手伝い2名お願い致します。(葬儀社で百セット準備)
*僧侶の送迎は要りません。通夜食事すし仕出屋より五たる
    飲物は葬儀社で手配致します(返品できます)
泊まり用貸し布団3組手配済み
    組の皆様は通夜終了後会計処理が終わりましたなら解散となります。
葬儀当日は初七日を引き続き行います。
納骨は後日四九日法要の際に執り行います。(日程は未定)
精進落しの料理は六〇人分用意いたします。
(寄らずに帰る方には海苔を百セット用意)
 
以上の事柄を水野さんは説明すると皆の質問を待った。
色々なことがあって皆何を質問していいかわからずに黙っているようだった。
すると飲み屋のマリさんが
「わたしが漬けた漬物持っていって出したいんだけどいいでしょうか?」と聞いたので水野さんは
「是非お願いします。」と言った。
マリさんはとてもサッパリした性格の面倒見のいいおばさんで、随分前に旦那さんと離婚してから、女手一つで息子さんを大学にやった。息子さんは今東京の大きな会社にはいっているそうだ。
それから質問もなかったので母と妹が皆に飲物やつまみを出し始めたので僕も手伝うために立ちあがって台所に行った。
それから小一時間ほどして皆は帰っていった。
6中一日(友引)
朝から雨・・・・・・
今日一日はとりあえず何もしなくてよいと水野さんも言っていた。
僕はおばあちゃんの部屋に行き、お線香を上げようと思った。
水野さんが「友引と言うのは、友を引くというので仏事では敬遠されていますが、本来は共に勝負無し、つまり引き分けの意味で仏教的な意味はないのです。でも地域の習慣や言い伝えで友引には葬式をやらなくなってきたのです。」
と教えてくれたからだ。
(水野さんが親しいお坊さんにそんな話をしたときにお坊さんが言うには、そうでもしておかなきゃ坊主は休みがとれないんだよって言ってたそうだ。)
しばらくおばあちゃんの顔をみて隣の部屋に行くと母と妹がアルバムを見ていた。
「何見てるの?」「おばあちゃんの写真捜してるの」
「どんな?」「遺影写真よ」母が言った。
「出来るだけきれいに写ってる写真がいいんだけど」
「あったの?」「これなんかどう?」僕と歩の753のときに写真があった。
「若すぎない?」僕が言うと
「いいのよ、おんなはいくつになっても年より若く見せたいもんなの。」母が言った
「おばあちゃん若いころ三島小町って言われていたんだって、みて若いころの写真」
妹が差し出した写真はおばあちゃんとおじいちゃんが二人で並んで写っていた。
新婚当時の写真だ。正直写真のおばあちゃんはその辺の女優より数段きれいで品があった。
「なにおばあちゃん、きれいすぎ」
「そうでしょーもうびっくり」
「おとうさんも言ってたわ、おばあちゃんが学校に来ると鼻が高かったって。先生なんて緊張して上がっちゃったりしてそうよ。」
「そうだよねーこんなきれいじゃねーわたしなんで隔世遺伝しなかったのかしら。」
「歩はお父さんに似て丸顔だもんね。でも可愛いんじゃない?」母が言うと
「可愛いけど美人じゃないのよねー」とまじめに言ったので
「ふーん可愛いは可愛いんだ。」と僕が言うと
「知らないでしょ私が学校でどんだけもててるか。」と妹がちょっとふくれたので
「そういえば浩二がお前のこと気に入ってたよな」と同級生の名前を出すと
「やめて」妹はちょっと恥ずかしそうだった。
「馬鹿なこと言ってないではやくおばあちゃんの写真きめとかないと水野さん来ちゃうよ。」母が言ったので僕らも写真をまたさがしはじめた。
お昼過ぎ雨の中水野さんがドライアイスの確認にやってきた。
「明日納棺のときに10キロ追加します。」
「ドライアイスはどのくらい持つんですか?」
「はい10キロで約2日ぐらいですね。」
「ドライアイス以外の方法はないんですか?」
「長期の場合エンバーミングという方法もありますが、この辺ではまだ十分な施設や技術者がいないので東京まで行かないと出来ません。」
「やったことあるんですか?」
「はい、外国の方を本国に移送する場合に頼みましたね。数は少ないですが。」
「どうするんですか?」
「簡単に言うと、血液を防腐剤と交換してしまうんですよ。」
「なんか怖そうですね。」
「でもエンバーミングしたご遺体はかえって生前よりきれいになりますね。」
「え?どうしてですか?」
「実は血液の代わりに注入する防腐液はピンク色なんですよ。それが血液の代わりに入るのでなんか亡くなってないような顔色になるんです。」
「そうなんですかーいろいろあるんですね」
僕は水野さんに何かおばあちゃんにしてあげられることはないのか聞いてみた。
「そうですね、お別れのメッセージを書いてお棺に入れてあげたらどうでしょうか?」
「お別れのメッセージ?」
「はい、おばあさまに感謝の言葉などを書いてお別れのときにそのお手紙をお棺に入れてあげればきっとおばあさまも喜ばれると思いますよ。」
「お別れの手紙かあ」
その日の夜僕はおばあちゃんに手紙を書いた。
7・通夜
(納棺準備)
ゆうべは、本当に家族水入らずで過ごせた。
食堂も当然休みだったのでお父さんもお母さんも1日家に居て時々電話の応対や近所の人が来るぐらいで、まるでエアーポケットに入ってしまったような一日だった。
おばあちゃんと家族がこんなにゆっくり過ごした事は初めてだったんじゃないかと思ったほどだ。
1日延ばせて本当に良かったとお父さんもお母さんも言っていた。
今日は四時に葬儀社の水野さんが来て納棺するっていっていた。
通夜は六時からなので四時半に自宅を出棺してみしま聖苑に向うとも言っていた。
親戚の人達も一旦家によってそれからみしま聖苑に行く予定だ。
僕は水野さんが用意しておいてくださいと言っていたものを確認した。
それはお塩・お米・お茶の葉をそれぞれ大さじ1杯分半紙につつんでおひねりにしたものだった。水野さんの説明はこうだった。
仏教には大きく分けて「自力」と「他力」があり、家の宗派は自力の教えなので四九日まで、修行して彼岸に渡ると言うものだそうだ。ずだ袋にこの三つをいれ、あと六文銭を入れるのだそうだ。
葬儀屋さんもいろいろな宗教を勉強しなければならないので大変だと思った。


(納棺)
四時に水野さんと若い女性のスタッフの人が納棺にきた。
女性は渡辺さんと言った。親戚のおじさん、おばさんもすでに到着していた。
「ただいまより、ご自宅を出棺するにあたり旅じたくを致します。喪主様よりお手伝いしていただきます」まずお父さんが足袋をつけお母さんが脚はんを、僕と歩で手甲をつけ、水野さんと女性のスタッフの人で白装束の袖を通してもらい他の親戚は皆でおばあちゃんを棺に入れる手伝いをした。
「四時半に迎えの車が参りますので、その車には2名ほど乗れますので、その方にお膳を持っていただき先に式場に向います。
(出棺)
外にはバンタイプの霊柩車が待機していた。
「それでは、出棺致しますので親戚の男性の皆様お手伝いをお願い致します。」
2階から棺を下ろすのだ。階段も急で狭いので水野さんがサラシで棺を巻いて持ちやすくしてゆっくりと降りはじめた。おばあちゃんはやっぱり軽かった。
下につくと隣り組の皆が待っていて受けてくれた。
そのままお棺は、霊柩車の中にそっと安置された。
母と歩が霊柩車にのって僕は父と車で聖苑に向かう事にした。
皆に見送られる中おばあちゃんを乗せた霊柩車はゆっくりと名残惜しそうに家の前を出発していった。、
(式場―開式前)
僕と父は霊柩車を見送った後、親戚のおじさん達と家の戸締りを確認して組の人達に挨拶をして家を出た。
「それじゃ、組の連中も少ししたらいくから」と組長の清さんが言った。
近所の人に頼んで家に留守番を置くかどうか迷ったが、案内の張り紙だけで家は閉めていく事にした。
事前に水野さんが式の日程や会場の案内はドアのところに貼ってくれていた。
僕と父は車で聖苑に向った。
聖苑に向う道路は整備されていた。
道なりに入口を登っていくとやがてみしま聖苑の建物が見えてきた。
以前おじいさんの葬儀のときいった火葬場とのあまりの違いにボーゼンとした。
「なに?すごいじゃーこの建物」
「立派になったよ。前はちょっとなー」
「うん、そうだったねー」
僕等は駐車場に車を止めると、その建物に向って歩いていった。
入口が2ヶ所あって向って右側におばあちゃんの名前の看板が出ていた。
看板の下にきれいな花があしらってあり水野さんの細部に渡る心ずかいが嬉しかった。
中に入ると母と歩、さっきの女性スタッフの渡辺さんがいた。
「どうぞお焼香をしてください。」渡辺さんが案内してくれた。
「こちらを出ますと遺族控え室になっております。お荷物はそちらにお持ち下さい。」
祭壇には少し微笑んでいるおばあちゃんの写真が飾ってあり写真の廻りには色とりどりの花がアレンジされてとてもオシャレな感じがして、清楚な白のカサブランカや蘭の中にピンクの薔薇が暖かい感じがしてとてもいい感じだった。
そこに水野さんが来た。
「水野さんピンクの薔薇が素敵ですね。」
「そうですね、私も好きなんですよ。最近は明るい色の花も使うようになりましたね。」
「おばあちゃんっぽい感じがします。」
「そういってもらえて嬉しいです。祭壇も私達なりにアレンジして故人の人柄を表現しようとしてるんですが」
「優しくて暖かいおばあちゃんの感じがでてると思います。」
僕はそういってもう一度祭壇の前に安置されているおばあちゃんの顔をのぞいた。
やっぱり寝てるみたいだった。
きれいな顔で悲しかったけど少し安心した。
そうこうしていると組の人達が到着した。
水野さんが組長さんに今夜の段取りを確認している。
お父さんも組の人たちのところに行って挨拶をしている。
お母さんと歩は遺族控え室にさっきの女のスタッフの渡辺さんと行ってなにか説明を受けているようだった。
と、そこへ同級生の加代子や浩二、それに隆がやってきた。
「おー正一、大変だったな、おばあちゃん」浩二が言った。
加代子も隆も後ろでうなずいていた。
「みんなありがとう、忙しいのに」
「バカヤロ、気使うなよ」
隆が相変わらずぶっきらぼうに言ったがいつもこんな口調で話す隆は照れ隠しの裏返しで人一倍気のやさしい奴なんだ。
「正ちゃん、おばあちゃんあんなに元気だったのに、私亡くなった日にもすれ違ったんだよ」加代子が目に涙をためていった。
「うん、」
加代子の涙を見たら僕も涙が溢れてきそうになってただうなずいただけだった。
それからいろんな人たちが入れ替わり立ちかわり来て僕や父、妹、母はずっと祭壇の前でおばあちゃんの経過などを話したりしていた。
「住職が見えられました。」と水野さんが告げに来たので僕と父は水野さんと僧侶控え室に向った。
「住職、どうもすいません。本日はありがとうございます。」父が改まって挨拶した。
僕も横で頭を下げた。
「本当に驚きました。あんなにお元気だったのに。」
「ハイ全く手のかからない年寄りだっただけにこんなにあっさり行かれて子供としては寂しい限りです。」
「そうですね。正一君もおばあちゃん子だったからさぞ辛い事でしょうね。」
「まだ信じられません。」
「そうだろうね、うん。」住職は優しい目で僕を見た。
水野さんが「それではまもなく開式となりますので遺族席におつき下さい。」と言ったので僕達は住職にもう一度頭を下げて部屋を出て式場に戻った。
その後水野さんは少し住職と何か打合わせをしているようだった。
通夜開式
「金子家御会葬の皆様にご案内申し上げます。
開式十分前となりましたので式場内にご入場ご着席をお願い致します。」
水野さんが司会席でアナウンスしたのでロビーに居た人達がゾロゾロと式場の中に入ってきた。
「開式に先立ちまして、携帯電話をおもちの方はマナーモードに切り替えていただきますようお願い致します。」
そういえば水野さんが式中の携帯電話の着信音が一番困るんですって言っていたっけ。
過去にシーンとした中にスケーターズワルツがかかった時はその人も会葬者も絶句してしまったとか。僕も遺族席にいてそんな事のないようにそっとチェックした。
「まもなく導師が入場されますので、ご入場の際には姿勢をお正しのうえお迎え下さい。」
ざわついていた席がピタッと静まる。
「それでは、導師ご入場です。」チーンと鐘が鳴って住職が入場してきた。
水野さんも合掌している。僕も合掌した。会場の人達も合掌していた。
普段着の住職と衣を着た住職では別人みたいだった。
住職も最近お父さんつまり前の住職をなくしてお寺を継いだばかりだった。
今四五歳ぐらいで父の高校の後輩にあたる。
普段は父のほうが偉そうにしているけど、やっぱりこんなときは住職って感じで頼もしい。
僕もこの住職が大好きだった。
大人の人の割に何か純粋な感じがするのだ。
実はまだ独り者で檀家の人達は集まるといつもその話しだった。
「いい人だけどまじめ過ぎるんだよなー」
「寺は真面目の方がいいにかまってるだろうよ。」
「でも嫁さん連れてきてくれなきゃ檀家としてはなー後継ぎのこともあるし」
皆言いたいことをいっていたが、正面から入場してきた住職には微塵の迷いもなく一つ一つの所作そのものが礼にかなったやり方でこちらまで身が引き締まる感じだ。
禅宗のお坊さんは三年寺修行をしないと一人前になれないらしい。
けれどうちの住職は本山の永平寺で十年も修行して本来なら出来るだけ短期に修行を終わって下山したがるのだが、自らすすんで山に残ったいわば変わり者という事だった。
けれど檀家の誰もが心の中ではこんな住職を真から誇りに思っているのは確かだった。
住職が席につくと静まり返った式場に水野さんの司会の声が響いた。
「大正十二年一月二十三日ご出生以来八一歳を一期として去る十一月八日ご逝去されました故金子市絵様のお通夜の式を菩提寺曹洞宗蓬莱山万福寺ご住職御導師によりただ今より開式致します。」司会の案内が終わると鐘が鳴って住職のお経が始まった。
「ナムカラタンノートラヤーヤー」何となく聞き覚えの有るお経だ。
次に修証儀(しゅしょうぎ)というお経に移り「それでは、喪主金子正太郎ご夫妻よりご焼香におすすみください。」水野さんが言った。父と母が立って先ず住職に一礼して祭壇に向った。焼香の時は、左手に数珠をもって一回もしくは二回焼香すればいいと水野さんが教えてくれた。
僕は数珠がなかったので水野さんに選んでもってきてもらった。
黒檀という木で作ったもので3,000円だった。父と母の次は僕と歩だ。
席をたって住職に一礼、前にいってお香をつまんで炭にくべる。
一回二回そして手を合わせる。「おばあちゃんありがとう」心の中でつぶやいた。
妹の歩も僕の横で手を合わせていた。チョット涙ぐんでるようだった。
親戚のおじさんおばさんが席を立つ頃司会の水野さんから
「それではご会葬の皆様におかれましても順次ご焼香にお進みください。」と案内があった。
隣りで父と母が立ったので僕も席を立って皆に頭をさげた。
水野さんが言うには本来この様な席では欠礼しても失礼ではなく、弔問客も故人に対してお参りに来ているので遺族に対していちいち挨拶しなくていいのですが、と言っていたが父がそれでもという事でその場で立って会釈することになった。
加代子や浩二、隆も焼香の列に並んでるのが見えた。
浩二や隆も茶パツで少し場違いな感じもするけどおばあちゃんの為に駆けつけてくれたことを思うとあの茶パツさえ有り難く思えてくる。焼香の人は次から次へと中々途切れない。
おばあちゃんを慕ってきてくれた人達なんだと思うと本当に皆にお礼を言いたかったし、おばあちゃんにこんなに来てくれたよって教えてあげたかった。
焼香の列も終わりかけた頃司会の水野さんが
「お焼香のお済でないかたは、どうぞお焼香所におすすみください。」とアナウンスした。
しばらくすると住職が鐘を鳴らして「いっしんちょうらいまんとくえんまん」と
別のお経に移っていった。最後に合掌礼拝して住職の話しがあった。
(住職の話し)
本日金子市絵様のお通夜を勤めさせていただきました菩提寺の住職でございます。
市絵様は九年前に連れ合いの徳次郎様をなくされました。それから毎日お寺にお参りに来られました。その折たびたびお話もさせていただきました。本当にほがらかで働き者で、また上品なおばあさまでした。
うちの先代の住職も三年前になくなりましたが、市絵さまのことをいつも三島小町と言っていました。
市絵様のご主人徳次郎様と先代は同級生で幼友達でした。徳次郎様が亡くなられた時の住職の落胆振りは身内のものが見ても心配するほどでした。市絵様のご主人徳次郎様が亡くなって九年、うちの先代が三年前に他界し誠に辛い限りではございますが、仏の教えでは彼の浄土に三人様が集い今度は永遠の命を生きるということになるのです。
生きる者はいつかは必ず死にます。ただ市絵様のように惜しまれていける方にならせて頂きたいものです。
一休禅師の言葉に「親が死に、子が死に、孫が死に」という言葉があります。
有りがたい言葉をと言って書いてもらった色紙にこの言葉が書いてあってもらった人は縁起でもないと怒ったそうです。けれど一休さんは言いました。
「順番で死ぬことがなによりめでたいんだ。」と
人は死にます、生まれると同時に死に向うのが人間の宿命であります。
今夜おとなえした修証儀の冒頭に「生を明らめ死を明きらむるは仏家一大事の因縁なり」とありますが、わたくしたち命有るものは皆仏様の慈悲に救われ菩提心をおこしてこの世を極楽浄土に変えるために生きることこそが人間本来の生きる意義であると思っております。
わたくしたち凡夫も是非この市絵様のように惜しまれつつ逝きたいものです。
本日お通夜のお勤めを執りおこなわさせていただきましたが、最後の夜ですのでご近親の皆様にはどうぞ市絵様の在りし日の御徳をお偲びいただきますようお願い致しまして住職より一言申し上げさせていただきました。皆様どうもありがとうございました。」
住職の話しは本当に僕の心にしみた。
そういえばおばあちゃんは、おじいちゃんが亡くなってからほとんど毎日お寺にお参りに行っていたのだった。
歩いていける距離とはいえ、きっと雨の日も風の日も行っていたのだ。
朝起きるのがぎりぎりの僕はおばあちゃんとろくに話しもしないで学校に行き、帰ってきても自分の部屋で過ごしてばかりだったのできっと寂しかったに違いなかった。
高校のとき自宅から通ってるときにさえそんなだったから、大学へ行ってるときなんか誰もおばあちゃんの話し相手になってはくれなかったのだろう。そういえばおじいちゃんが亡くなって暫らくした時にたまたま僕がおばあちゃんと墓参りに行ったとき、おばあちゃんがポツリと言った。「人は誰かが亡くなるとその後に必ず後悔するんだよ」
そのときは気にもとめずに聞き流しちゃったけど、今その事が心から分かる気がすると思った。
あのおばあちゃんでさえ後悔したのか?と思うともっと話し相手になってやれば良かったと涙が知らずにこみあげてきた。
(父親の挨拶)
住職が退場して司会の水野さんが遺族から一言挨拶があるとアナウンスがあって父が立ちあがった。
「一言あいさつをさせていただきます。本当に急なことでお忙しい中このように大勢の皆さんに駆けつけていただきましてありがとうございます。
おばあさんもさぞかし感謝してる事と思います。
八日の午前一時頃孫になる娘の歩がおばあさんの部屋の明かりがついたままなので声をかけましたが返事がなく覗いてみるとおばあさんが倒れていました。そのまま救急車で病院に連れていきましたが、救急車が来たときにはもう亡くなっていたようでした。
娘の話しでは八時頃二人で食事をしてしばらくして部屋に戻ったそうですが心不全と言う事で本当にあっけなくいってしまいました。
日頃病院などと縁のないおばあさんでしたので家族親戚一同驚いております。
明日は葬儀となりますが隣組をはじめ皆様方には大変お世話になりますが、よろしくお願い致します。今晩は遅くまでありがとうございました。
おばあさんも寝てるようで信じられない気持ちで一杯です、どうか顔を見てお別れしてください。本当にありがとうございました。」
父は頭を下げると席に戻った。
「以上を持ちまして故金子市絵様の通夜を閉式いたします。」水野さんがアナウンスした。
その後明日の案内が告げられ式は終了した。
(閉式後)
式が終わると次々におばあちゃんとお別れするために弔問の人達が祭壇の前にやってきた。
父と母はその対応でそこから動けなかった。
僕は友達がロビーに居るのが見えたのでそこを離れた。
ロビーはまだ人がごった返していたが、組の女性達が帰る人達にジュースとビールの入った袋を渡していた。ロビーでは後から来た邦彦や裕子それに恵美も来てくれていた。
「みんなありがとう。」僕はお礼を言った。皆とは久しぶりで積もる話しもあったが今夜は時間も取れないので明日もう一度会う事にした。いつも元気な恵美も今夜は殊勝な顔をしている。「正ちゃん明日ね。」恵美が言った。「うん、ありがとう。」僕は恵美が好きだった。
勝気で意地っ張りで泣き虫でチョット酒乱の恵美が来てくれて嬉しかった。
僕等はいつも一緒で皆幼馴染だから、なんか好きとかあらためて言えない感じだった。
だから僕が東京へ行く日が決まって皆で送別会を開いてくれたときも、恵美と僕は馬鹿騒ぎしてカラオケを歌いまくっただけで終わってしまった。
そんな事を思い出しながら皆を見送ってホールに戻った。
ホールの人達もほとんど控え室に行ったらしく父と水野さんだけが残っていた。
水野さんが「遺族控え室で通夜ぶるまいの用意が出来てますのでどうぞ」と案内してくれていたので僕は控え室に向った。控え室には親戚の人達がすしをつまんでいた。
「正一も空いてる所に座って食べなさい。」母が言った。
「そうだぞ正一今夜はお前がおばあちゃんのお守をするんだから、いっぱい食っておけ。」勲おじさんが言った。
おじいさんのときは自宅だったのでおばさん、おじさん皆で着いてたそうだ。
今回は僕と父それと勲おじさんの三人でおばあちゃんの御守をする。
いとこの桂子ちゃんとご主人の勝敏さんのところが空いていたのでそこに座った。
「勝敏さん遠いところからわざわざすみません。」
「転勤で九州とは僕も予定外だったけど、でも今回は日程に余裕があって助かりました。」
「正ちゃん大学は?」いとこの桂子さんが言った。
「まあまあだよ、新婚生活は?」「まあまあよ」桂子さんはご主人を見て笑いながらいった。
勝敏さんはニコニコしている。人がいいのを絵に描いたような人なんだ勝敏さんって。
「おばあちゃんきれいな顔してたね。」桂子さんがいった。
「うん」
「良い写真だったね。」
「そうだね、おばあちゃん美人だったから。」
どちらかといえば妹の歩よりいとこの桂子さんの方がおばあちゃんの若い頃に良く似ていた。
こわもての勲おじさんのウィークポイントの一人娘で評判の美人の桂子さんを勝敏さんがもらいに来たときは大変だった。
何しろ箱入り娘の桂子さんを、ばついちで二十才も年上の勝敏さんがもらいに来たんだから・・・
勲おじさんと勝敏さんはあまり年も違わないぐらいだったのでなおさらだった。
いまでも勝敏さんは勲おじさんが苦手らしい。
だからすみの方でこうやって飲んでいるのだ。
桂子さんはそんな事を知ってるはずなのにわざと
「勝ちゃん、お父さんと飲めば?」なんてからかってる。
勝敏さんは赤くなった顔の前でしきりに手をふっている。
すると目ざといおじさんが
「おい、婿さんよ。こっちで飲めよ。正一もこっちへ来て飲め。」と声をかけたのでぼくと勝敏さんは目を合わせて、シマッタって顔をして苦笑いした。
それからおじさんの愚痴に二人は付き合わされて、肝心の桂子さんはおばさん達とおおばなしをしていた。
九時をまわった頃親戚の人達がタクシーなどで次々に帰っていくのを見送ってホールによってみると、水野さんが何かかたずけをしていた。
「おそくまですみません。」
「いえ、ちょっと明日の設営をしていたんですよ。」
「明日の?」
「はい、明日は住職のほかに先僧様が三人来られるのでその準備をしていたんです。」
「お寺によって違うんですか?」
「セットの内容は宗派によって異なりますし、位階によってもお坊さんの人数が変わるんですよ。」
「おばあちゃんは?」
「とても立派な戒名ですね。」
「そうなんですか?」
「はい、禅宗の戒名は位階がいくつもあってお寺に貢献したかたには、おばあ様のような戒名がつけられるんです。」
そこには新帰元 瑞祥院徳室市香大姉と書かれていた。
「なんて読むんでしょうね?」僕が訪ねると水野さんが
「シンキゲン ズイショウイントクシツシコウダイシでしょうか?」と言った。
「シンキゲンって?」
「この部分は新たに亡くなったと言う説明でその下からが戒名です。徳室と言うのはおじい様の徳次郎様の奥様ということです。それからの意味は住職よりご説明があると思いますよ。」
ぼくは水野さんがなんでも知っているので尊敬してしまった。
「何でも知っているんですね。」
「いやしらない事ばかりで恥ずかしいです。」と言ったのでこの仕事も奥が深いんだなと感心した。
みしま聖苑は十時になると門がしまるので泊まる方以外はそろそろ帰り仕度をしなければならないがもうほとんど帰ってしまっていたので慌てる事はなかった。
おじいさんの時は明け方まで酒盛りが続いたのでお母さんは次の日へとへとだったのを覚えている。今回は聖苑にして良かったと思った。
水野さんが最終チェックをして仕出屋さんのお手伝いの方も帰った。
みしま聖苑は十時になると門がしまるので泊まる方以外はそろそろ帰り仕度をしなければならないがもうほとんど帰ってしまっていたので慌てる事はなかった。
おじいさんの時は明け方まで酒盛りが続いたのでお母さんは次の日へとへとだったのを覚えている。今回は聖苑にして良かったと思った。
水野さんが最終チェックをして仕出屋さんのお手伝いの方も帰った。
葬儀当日―(開式前)
昨夜はというより明け方まで僕と父と勲おじさんの三人は色々な話をした。
勲おじさんが話してくれた事は「おれが若いときは、悪がきでお袋にしょっちゅう迷惑かけたけど、唯一頭があがんなくなったことがある。」と話してくれた。
今でこそ建設業会社の社長をやってるが若い頃は喧嘩ばかりで手に負えなかったらしい。
そんなおじさんも本物のやくざに喧嘩をふっかけて組の事務所に連れて行かれた事があったそうだ。
「そのときはもう本気でやばいと思ったんだよ。威勢が良くてもガキだからな。こわもてのやくざに囲まれてうな垂れてたらそこへお袋が割烹着のまま入って来たんだ。俺も驚いたけど組の連中もいきなり割烹着のおばさんが入ってきたもんでであっけにとられていたっけ」
「それで?」僕は訊いた。
「うん、そしたらお袋がうちの子も悪いかもしれないけど、大の大人が寄ってたかって何ですか。って啖呵切ったんだ。」
「それでよく無事だったね。」
「うん後で分かったんだけどお袋のそのきりっとした啖呵と粋な姿にやくざの連中もファンになっちゃったんだよ。」
「おばあちゃんかっこいいね」
「そうだな、あのときのお袋は息子の俺が見ても眩しかったよ。」
そんなおばあちゃんがそんなに色男でもないおじいちゃんと良く結婚したね。」
「ま、男は顔だけじゃないってことだな。桂子だってあんな、ばついちの、便所の百ワットみたいな奴と結婚しちまって、まったくあんなやつのどこが良くて・・・・・・・・・・」
その後はお決まりの愚痴になってしまい結婚に口添えをした父までが愚痴をきくはめになってしまった。
でも美人で頭脳明晰の桂子ちゃんが選んだひとだもの良い人に決まってると思った。
昔はチョットおたかくとまってる感じだったのに結婚してから冗談を言ったり、良く笑うようになった。
おじさんも口では言ってるが、決して勝敏さんが嫌いなわけではなかった。
そんな風にお通夜の晩を僕等は過ごした。
僕は仮眠からおきると早朝のホールに入っておばあちゃんに朝の挨拶をした。
「おはようおばあちゃん、昨夜はおばあちゃんのいろんな話しを聞いたよ。おばあちゃんって人気者だったんだね。」顔をのぞくときれいなおばあちゃんがやっぱり眠っているように横たわっていた。
すこし微笑んでいるように見えた。
「おじいちゃんがもうそこまで来てるの?」僕は線香をあげて手を合わせた。
外にでると東の空が白んできた。夜明けだ。
空気がひんやりしてきもちいい。この地上の生き物が活動をはじめようとする精気が満ちている気がした。
植えこみの木の葉の先に、夕べの露がキラキラと朝日を受けて光を反射する光景こそ昨夜住職が言ったこの世の極楽だと思った。
葬儀当日(開式前―)
九時を回ると次々に親戚の人達や隣り組の人達が来た。
水野さんや昨日の女性スタッフの渡辺さんあともう一人男性のスタッフの方がついていた。
「おはようございます」と水野さん
「おはようございます、よろしくお願いします。」と僕
「夕べはご苦労様でした.お通夜のお勤め」
「ゆっくりおばあちゃんの話しが聞けて良かったです。」
水野さんは黙ってうなずくと祭壇に向って手を合わせた。
その後水野さんは父と以下の事を確認した。
・弔電の順番と読み上げる本数・・・・・本文を三通ぐらいお名前のみ十通にしぼる
・弔辞の申し入れがあったか?・・・・・女学校時代の同窓生と老人会の二名
・遺族代表謝辞を誰がするのか?・・・・徳蔵おじさんが代表であいさつして父も一言挨拶をする。
そんな打合わせをしたのち水野さんがやってきた。
「正一さん、お別れの言葉をしていただきたいんですけれど。」
「え?僕がですか?」
「そうです。できればお願いします。住職ができればといいまして・・・」
「はい、あの時水野さんにいわれて書いた手紙を持ってます。お棺に入れてあげようと」
「そうですか。読んでいただけますか?」
「分かりました。上手く言えるか自信ないけど」
ぼくはおばあちゃんに何もして上げることが出来なかったので、手紙でおばあちゃんに感謝の気持ちを告げることが供養になるのだったらと思い承知した。
会葬者が次々にきて場内は急にざわついてきた。
水野さんは住職と打合わせをするために席をはずした。
僕は会葬の人達に挨拶しながらロビーの方に夕べの同級生達が集まっているのが見えた。
向こうに行って皆と話しがしたかったけどそこに父や母、親戚の人達が入ってきて席に着き始めたので僕も席に着いた。
開式十五分前のアナウンスがあった。(開式)
「金子家ご遺族ご親族御会葬の皆様にご案内致します。まもなく開式時刻となりますのでお席にお付下さい。
又本日のお式に際しまして弔辞、お別れのお言葉などご用意の方がおられましたなら開式前に司会までお申し出下さい。」水野さんがアナウンスをはじめた。
ロビーから皆が式場のなかに入ってきた。昨夜と同じぐらいの人が来ている。
会場の席はほぼ満席に近い。
「まもなく開式となりますが携帯電をおもちの方は、マナーモードに切り替えていただくようお願い致します。」僕も携帯をチェックした。大丈夫だ。
「それではご導師、式衆ご入場です。姿勢をお正しください。」
チーンと鐘が鳴ってお経の声が響いてきた。
住職とお手伝いのお坊さんが一礼して会場に入ってきた。
皆合掌している。僕も合掌した。
住職や他のお坊さんが席に着くと水野さんが開式を述べた。
「やがてゆく道とはかねて聞きしかど、きのうきょうとは思わざりしよ。
大正十二年一月二十三日ご出生以来八一歳を一期として去る十一月八日ご逝去されました
故金子市絵さまの葬儀ならびに告別式を菩提寺曹洞宗蓬莱山万福寺ご住職ご導師により開式致します。」大きい鐘がゴーンとなってお経が始まる。
しばらくお経を聞いていると、僕の心の中に走馬灯のようにおばあちゃんの思い出がよみがえる。
お経が式場内にこだましている。やがて住職の引導が始まった。
馬の尻尾みたいな物を振ってなにかをはらうような仕草をしてから良くとおる声で朗々と何か昔の言い方でおばあちゃんのことを説明しているようだ。
内容は良く分からないけれど、住職の真剣な気持ちがこちらまで伝わってくる。
ローっていう言葉がシンとした場内に響く、やがて引導がおわって住職が席に戻った。
「ここで弔辞を頂戴致します。ご友人を代表して故人の高校時代同窓生の佐伯範子様。」
おばあちゃんの同級生だ。
会った事はなかったけれどやっぱり品の良いおばあちゃんだった。
女学校時代おばあちゃんはとても成績優秀で常に皆のリーダー的な役割をしていたらしい、また美術部に入っていた事もはじめて知った。
きっと活発で明るい女学生だったんだろう。
そんなことがありありと思い出される素敵な弔辞だった。
そして本当におばあちゃんの何十年変わらない親友だということも・・・・
その友達のおばあちゃんはふかぶかと一礼すると席に戻った。
「三島市若葉町老人クラブ会長小林耕市様」
近所のおじいさんだ、おばあちゃんもよく会合や奉仕作業に出かけていっていた。
やっぱり会長の言うこともおしどり夫婦で二人がとても良い夫婦だったので、やっとおじいさんに会えるという事だった。僕もほんとにそう思った。
「お別れの言葉、お孫様を代表いたしまして金子正一様」
僕はこのあいだ書いた手紙を読んだ。
おばあちゃんへ・・・・・・・
おばあちゃん亡くなったって母さんから聞いたときはびっくりしたよ。
家に帰ってくるときも信じられなかったしこうして今おばあちゃんの顔をみていてもまだ信じられないよ。
家が食堂をやっていたのでいつも食事は僕と歩とおばあちゃんで食べましたね。
僕の好きなハンバーグを良く作ってくれましたね。カレーも好きでした。
少し甘めのカレーがおばあちゃんのカレーでした。どの店のカレーよりおいしかったよ。
僕が中学校に入る年におじいちゃんが亡くなってそれからずーと三人で一緒でしたね。
忙しい父さんと母さんの代わりを一生懸命してくれましたね。僕と歩がおばあちゃんの言う事を聞かず中々お風呂に入んないとき困ったような顔していたおばあちゃん、ごめんね。
敬老の日に僕と歩がプレゼントしたブローチを老人会の旅行にはいつもつけていってくれましたね。子供の選んだ安物のブローチ、
「素敵ね、このブローチ」なんていっていつも嬉しそうに皆に自慢してたけど今見ると変なブローチなんだよね。
それから僕が大学に入ったときもお赤飯炊いてくれて、本当は附属高校だから合格しても当たり前だったんだけど、
仏壇に向っておじいちゃんに
「正一が大学受かりましたよ、おじいさん」って報告しているのを見ちゃったんだよ。
今大学では建築の勉強してるから、このうちをおばあちゃんの住みやすい様にするにはなんて考えたりしてたんだよ。
エレベータがないのでおばあちゃんにはきついと思ったけど、いつも元気なおばあちゃんはトコトコと階段を上ったり降りたりして、僕はそんなおばあちゃんだから当たり前に百歳まで生きるとおもっていたんだよ。
でもきっと寂しかったのかもしれないね、陽気でいつも人を笑わせてばかりいたおじいちゃんが亡くなってもう九年
早くおじいさんに会いたかったのかも知れないね。老人会きってのおしどり夫婦で当時ちょっと話題になった恋愛結婚だったっておばあちゃんの弟の誠一おじさんが酒の席で話してたことがありましたね。そのときのおばあちゃんとおじいちゃんは二人で照れくさそうに笑っていましたね。なんか僕も子供心に二人が眩しく思えました。
おばあちゃん、やっとまた二人で暮らせるね。僕もお酒を飲める年になったのでおじいさんに一緒に正一がお酒を飲みたいって言ってたよって伝えておいてね。それじゃおばあちゃんおじいさんと幸せにね。
平成十六年十一月九日     
                    金子 正一

読んでるうちに何度かこみ上げて来るものがあってつっかえつっかえだったが何とか読み終えて席に戻るとき親戚の人達やお父さんお母さん、みんな泣いていた。
弔辞が終わって弔電の披露が続いた。
市長や国会議員などに続いて友人などの儀礼的ではない文面の弔電が何通かあって弔電でも気持ちが伝わるんだと思った。
そしてお焼香の案内が始まり通夜と同じ順序で焼香に出た。
「それではご会葬のみなさまも順次お焼香にお進み下さい。」水野さんのアナウンスにより会葬者の焼香も始まった。















投稿者 株式会社ベルホール

株式会社ベルホール
所在地〒411-0846
静岡県三島市栄町10-49
最寄駅三島広小路駅 徒歩5分
TEL0120-043-444
(代)055-972-6699
FAX055-972-6686
Mailinfo@bellhall.co.jp

お問い合わせ 詳しくはこちら