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葬儀屋社長奮戦記

2011年11月 2日 水曜日

社長経歴

1958年緑と酪農の里に生まれ大学一年生まで地元で育つ.
大学は日大法学部卒業.
その後司法書士試験に挑戦すべく東京法経学院司法書士本科に席を移し勉学に勤しむ。
日々の勉学の傍ら、ある日ふと目にした「正法眼蔵」の一節
「百尺の竿頭、更に一歩進むべし」との一節にふれ俄に稲妻が走り、
丁度銭湯に行こうと身支度をしていたのを幸いに、そのまま下着と5千円ほどの現金をナップサックに入れ、玄関の下駄を突っ掛けてそのまま東京中野のアパートを出た。
さてどこに行こうかとアパートを出てから考える始末だったが、先日読んだ「日本の名僧100人」という本の中で印象に残っていた高尾山葉上しょうじょう阿じゃりに弟子入りすることにした。
高尾山は中央線に沿って歩けばいいと考え歩き出す。
しかし土地感も無く結局迷子になり国立あたりらしいファミレスの駐車場にて休憩してるままに夜をしのぐ。
 この時不思議なことに自宅で就寝中の母の枕元に先年亡くなった曾祖母が夢枕に立ち赤ん坊の姿をした私を指差して、(全ての因縁はこの子にかかって来ている!)とそれはそれは怖い顔で怒鳴るので恐ろしいやら息子が心配やらで生まれて初めて夜中に仏壇に線香を上げたそうだが、ちょうどその時自分自身の夢枕にも曾祖母が立ち怖い顔で何か言っているので、道に迷い疲れてファミレスの駐車場のコンクリートの上で熟睡していた俺は思わず立ち上がり道を急いだ、
中野から吉祥寺に向かって歩いて来たがどうやら高尾山は見当違いらしく、目が覚めてから進路を変更して港北区に足が向いていた、
というのは、地元に禅の名刹「龍澤寺」があることに気がついたからだ。
町田に向かう途中家々から洩れる明かりを眺めながら懐かしさと共にこれから法の灯る家を目指す感激で途中に寄ったおでんの屋台ではにわか道心の「般若心経」を唱えたら
そのオヤジさんは「わかりやすいお経だねー」と言って代金を不要にしてくれた。
なんとなく一期一会の有り難みを感じ、一路箱根の険を目指した。

途中の行程は狐につままれた如く芦ノ湖で朝日を拝み、そこからバスにのって早々に
龍澤寺山門に到着し、直立して満を侍していたのだけは覚えている。
山門には般若大接心の札が架かっていたように覚えている。
とにかく朝からズーとそこに佇んでいたらしい。
途中青大将のツガイが林の根本から這いでて自分の回りを何周か廻ってまた林に消えていったがたいして不思議とも感じずにいたのが今となっては不思議だ。
そういえばひいおばあさんの葬儀の朝自宅で出棺のお経をしていた時に
大きな青大将が縁側からお経をあげている住職の脇をスルスルと祭壇の下に入り込んで
大騒ぎになったが結局あんな大きい青大将は祭壇の下には居なくてみんな狐につままれたように出棺したのを思い出した。
そんなことを思い出しながら一日中山門の前で立ちっぱなしで居たのだが夜の気配がしのびより肌寒さを感じる頃、薄暗い山門の中から一人の坊主がひょいと顔を出した。
その坊主はなんの脈絡もなく開口一番こう言った。
「オイ、首くくるんならそこにいい枝振りの木があるぞ。」と、
とんでもない坊主だ。
自分はとにかく出家して百尺の竿頭の答を知りたいのに自殺志願者等という不名誉な者に間違えられてしまった事に憤りとにかく出家させてくれの一点張りでとうとうその日から寺の住人になることに成功した。
両親がそのことを知るのはいよいよ警察に捜索願いをだそうという二週間後であった。
禅寺の生活は接心中ということで日常会話もママならず、食事も粗末なものであったが当時の自分にはそれでも贅沢に感じたのも事実だった。
季節は初夏の入り口、境内の梅の木の梅の実がボトリと大きな音でびっくりするぐらい静かな
参禅の修行であった。
何日目か突然座禅中に訳がわからないまま嗚咽が漏れ始めたのを皮切りに、声をこらえても
こらえても体中からわんわんと涙があふれて雲水に叱られるも止まらずヒトシキリ、ナクダケナイタラ、付き物が落ちたのか?
すっかり、心身が楽になったのを覚えている。
身元も明かさずに出家できるものと思い両親のことなど思いもしない親不孝ものが野放し状態でいるのを大人の人たちがほおって於くはずも無く、知らないうちに自分の所持品から
身元が明らかになっていたのも露知らず、寺からの連絡を受け父母が老師を訪ねていたのだ。
後日父が老師に「息子が親の事を聞かず困ってます。老師から何とか言ってください。」とつげたのにたいして老師は
「親の言うことさえ聞かないんだ、わしの言うことなんぞ聞くもんか。」と一蹴されたそうだ。
そのときの老師は親のきたことなど言わずに自分を呼んでこういった。
「本当に出家したいのならば、それなりの坊さんの紹介状やらさまざまな手続きがあるので、
一旦山を降り、出直してきなさい。わしがそのときは面倒見てあげるよ。」
一旦山を降りることにしたが、今考えるとそれこそが仏の方便だったのだ。
ナップサックを背負って来たときのまま下駄履きで(もっとも下駄の歯は来たときに磨り減ってしまっていたので、単なる板のぞうりのようだったのだけれど)山を降りていくと、
地元の人たちはご存知のとおり日本大学付近の街道に合流する。
そこでボクが目にしたものは、笑いさざめく天使達・・・にみえた女学生達だった。
年頃のボクはさっきまでの求道心も何処へやら、「この世ってホントにイイもんなんですよねー」とあの映画のひげの解説者の口調で心の中でつぶやいていた。
振り子の理論か?
山を下りたぼくは、父親の不動産会社に就職するも出家未遂ぼけで仕事もせずに毎日遊びほうけていた。
そんな息子は、伯父の経営するペンキ屋にでっちぼうこうに出され出家せずにペンキ屋となり三年を過ごしたのだった。





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